| 草薙錬心舘の歩み 昭和45年ごろ、草薙神社境内に、現在の草薙錬心舘の道場より、一間半下がったところに、屋根と骨組みだけの射場がありました。そこは、年2回だけ弓道大会が開催されており、大変荒廃しておりました。 草薙神社宮司の森さんと懇意だった 現舘長の池上正陽先生は、宮司の要請もあり 何とかもっときれいにしようと努力した結果、常に使用することが一番であると気付き、射場を管理していた清水市大内の荒木五郎氏と話し合いの末、県立静岡女子大学の学生数名と、一般の人2名で週一回の弓の稽古を始めました。 夏は蚊がひどく、冬は寒さが身に沁み、雨の日は稽古どころではなかったそうです。 そんな日々が5年ほど続き、次第に会員が増えてきたので、名称を『射和会(いさわかい)』として再発足し、夜でも稽古が出来るように電灯の整備をしたり、ビニールの囲いをするなど まがりなりの道場の形態ができましたが、道場の中は、土間のままでした。 昭和55年の秋、榛原郡榛原町のある神社の弓道大会で日置流印西派の木下宗家と出会った池上館長は、その人柄と話に、スッカリ感激、日本武徳会に入会されました。そこで日置流の弓を目にし日置流印西派の現宗家、田村先生の門弟となり、草薙神社に日置流印西派の弓が伝承される基になりました(名称も草薙錬心館と改称)。 昭和58年1月 日本武徳会の皆様のご協力により草薙神社の道場を改築する話題が持ち上がり、神社の了解も得て日本武徳会の中に建設委員会が発足、会長に木下会長、副会長に田村副会長、庶務、会計に池上教士が選出され、建設の準備が始まりました。 多くの会員からの寄付、会長、副会長、草薙神社、役員の方から(特に現舘長は多額)寄付をいただき建設に取り掛かりました。 昭和58年3月 道場建設の地鎮祭を会長、副会長、事務局から杉山正治、池上数弘、神社側から石原氏子総代出席のもと挙行しました。 昭和58年6月 道場の完成式が日本武徳会の主催で盛大に行われました。 以来、当 錬心舘が多額の経費のかかる道場の維持、管理を行いながらも、若者の育成を目指し、殆ど休み無く道場が利用され、会員数60名を有する清水一番の道場として春秋の草薙神社のお祭りに合わせて開催される奉納弓道大会や、年一回の日本武徳会全国大会など、多くの射会を開催し、現在に至っています。 私たちがこのように活動出来るのも草薙神社の暖かいご支援があるからで、会員一同、常に敬神の念を抱いております。 |